2004年09月09日

服飾の価値は(slashdot)


私の場合、最低限ではあるが、上下のバランスや気候と乖離してしまわないよう、また浮いてしまわないように上着には気はつけている「つもり」である。というわけで、辛うじて上着に一票。
本当は髪もちゃんと整えたいのだが移動手段が「スクーター」なので整髪してもメットに押し潰され蒸されて移動が完了する頃には原型もとどめなくなってしまうのである。このあたりは流石に自動車のアドバンテージを実感してしまうのだが…
 
で、問題なのが姿見によるチェックである。
私はちょっとトラウマがあり、姿見に映った自分の姿を直視できない。だが、最近街中あちこちが鏡張りになっており、当然そこには自分が映る。そのたびに陰鬱な気分になるのだ。
想像してみて欲しい。
メットの蒸し効果でのっぺりとした髪形になり、しまりの無い弛み切った胴体似合いもしないみすぼらしいシャツ姿である。
正面像以上に側面像がきつい。しかもそれは自分であり、鏡像は全くのラグ無しに自分の行動をトレースしている。
 
馬子にも衣装とは言うが、それにしてもベースというものがあるのだという事実を一々突きつけられる事象なのである…

Post: @ 2004.09.09 12:03
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